少欲知足

2022年01月22日

「少欲知足」(しょうよくちそく)

 

1995年(平成7年)1月17日に阪神・淡路大震災が発生し、今年で27年になります。


あの朝、私はこれまで経験したことのない地震の揺れに飛び起き、横で寝ている満1歳の三男の上で四つ這いになったことを思い出します。震災後、廃墟となった神戸の街に「相田みつを」さんの詩の一節「うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる」という言葉が掲示されているとニュ-スで知りました。水や食べ物の不足する震災地でとても心休まる言葉だと感心した記憶があります。

 

本来、この言葉はしばしばモノの豊かさを計る時に引用されますが、私たちは物質的に恵まれ、モノがあればあるほど豊かな生活になると思いがちで、その豊かな生活を求めるあまり、私たちの日々の生活の中でもモノをめぐって、分け合うことよりも奪い合うことに慣れてしまっていると気づかせてくれます。

 

「比べなければ、十分にしあわせ」我々不動産業者は確かに近所の同業者のことが気になります。他人と比較するのが人間の習性だからそう思うのは仕方ないようです。こんなに大変な時代に他社の好調そうな姿を見ているとヤキモチを焼いたり、妬んだりもするものです。お金があれば幸せかといえば、必ずしもそうではないと自分に言い聞かせてみても、やはりお金は無いよりあったほうがと考えてしまいます。(笑)

 

人は誰でも他人と比べたがるもの、つい比べてしまう。一方で人は人、自分は自分と割り切って生きていければどんなに楽かなと思うことがあります。比べなければ楽に生きられるのがわかっていてもなぜか比べてしまう。それが人間なんでしょうね。

 

では、なぜ人は他人と比べてしまうのでしょうか?どんな人も『見栄と欲』があります。この見栄と欲が人と比べる要因です。でも見栄と欲があるから頑張ることができ、時には踏ん張りを効かすことができるのも事実です。だから『見栄と欲』を持つことは決して悪いことではありません。それは程度の問題だと思います。

 

 

1-22少欲知足


「少欲知足」(しょうよくちそく)・・「しょうよく」は欲が少なく、今以上のものを欲しがらないこと。「ちそく」は「たるを知る」という意味で、現状のままで満足すること。つまり、程々という考え方で比べることがなくなる・・私たちの周囲を見渡してみると、以前よりいろんなことで便利になったし、満ち足りている気がします。要は自分が現状をどのように受け取るかです。上を見ればキリがない。欲しいモノには借金までして手に入れる。本当は無くても生きていけるのが分かっていても・・そう考えると、ある程度(程々)のところで足りるというのを知ることが大切です。

 

「金持ちになるより、しあわせになればいい。」・・一度きりの人生を他人と比べないで生きていけたらいいですね。

 

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